女の子は何で出来ている?

 昨日の雑記読んでくれた広瀬くんと(ボクの日記に月何回のペースで彼が出てくるんだかっこわらい)意見を交わしてみました。おkおk。忘れないよう、ここにボクの反論を述べていこう。かなり私信になってしまいますが、まぁよかかと。


>創作は、だからカレーなんですよ。


 ボクは牛丼だと思う。創作とは、牛丼。
 カレーの場合、どれがメインというものがない。あえて挙げるならカレールーだとも言えるけども、あれはどっちかというと最後に味を調える調味料に近かろうと。そうすると、どれも画一した材料と言える訳で。そうではないと思うのです。
 大切なものは、やはり「自分が情熱を持って書きたいこと」だと思う。まず前提でこれが無ければ始まらない。これが牛肉。あとは、「楽しくやれること」。もちろん、それは人に迷惑をかけたり不快にさせないというルールの下での。これが白米。コシヒカリ使ってますよー、という謳い文句でタイ米を使ってはいけないのね。
 創作を司る他のいろんな要素、これは二の次三の次。もちろん、牛丼をおいしく食べるために重要な役割を担っていることも間違いないが、ぶっちゃけ無ければ無くてもいいもの。これが必要になるのは、商品として売るとき。だからこそ、ボクたちにはまだ気が早いものかもしれない。これが文章の構成だったり、テンポだったり、キャラだったり、内容だったりする。牛丼で言う玉ねぎ、糸こんにゃく、紅しょうが、薬味といったところだろうか。
 流行についても、牛丼で説明がつく。つゆだくにしたり、値段が下がったり、問題があったから豚に変えてみたりと。いろんな試行錯誤を加えていく。どれが一番ということは無いと思う。進歩はしているかもしれないけども、完璧な牛丼ではない。昔ながらの味が忘れられない、という人は吉野家に行くだろうし、新しい味だったらすき家に行くのだろうか。前者が昔からある作家の素晴らしい作品、後者が今流行の作家が書いた素晴らしい作品、ということ。
 人によってどれが好きなのかは変わる。牛丼の糸こんにゃくが好き、という人もいれば、紅しょうがが上にかかってないと駄目という人もいていいと思う。それらをひっくるめて牛丼が好きなのだから。それはいい。ただ、調理する側においては牛肉と白米が無い限り牛丼を作ることにはならない。だから、カレーとは違うのでふ。あれはいろんな具材が入っていいし、無くてもいい。例えカレールーがなくても、香辛料で代用が効いてしまうから。カレーライスでなくてもいいよね。カレーだけ食べる人もいるでしょう。それがいかんかと。これでなければならない、という確固たるものが無いといけない。それが牛肉であり、白米であると。ボクはこう思うわけです。


 いかがだろうか。それでは、続きは後ほど。