『18和音』

 携帯というのは、本当に便利な代物だ。何しろ、電話を持ち歩き出来てしまうんだ。時と場合を考えれられるマナーさえ守れば、いつでもどこからでも連絡を取れる。私が使いこなせているのは精々通話とメールの送受信のみ。着信音は16和音もあるというのにまだ初期設定のままだし、待ち受け画像――携帯を開いてまず表示される画像のことをいうらしい。まだ私には理解出来ていない――は、よくわからない三次元の幾何学的な映像を映し出したままだ。スケジュールなんかもここで管理出来るんですよ、と後輩の誰かが教えてくれたがそれも手付かず。それが出来るようになったら、毎日のように朋也と会える日をチェックするのにな、なんて思う。
 そんな便利な携帯を、今さっき無くしてしまった。
「……馬鹿か私は」
 コードがついていれば無くすこともなかったのに。そんな自分勝手な憤りを感じている、10月14日の私だった。


 無いはずが無い。つい10分前まで朋也とメールの交換をして、『もうちょっとで校門前に着くから、少し待ってて』との文面を二度読み返したのはちゃんと覚えている。その後にも、私は必ずマナーモードになっているかを確認したし、時間を見ると、もう少しで約束の時間を過ぎてしまうから、今日はちょっと怒った風にして待っていようと考えたのもはっきりしているし。最後にはちゃんと、いつものように自分の内胸ポケットに――入れたか? 
「忘れた……」
 生徒会長という肩書きもあって、私は普段携帯を他人から絶対に見えないところ、しかし朋也からの連絡がわかればすぐに反応できるところに所持していなければならなかった。それが制服の内側にある胸ポケットだった。
 別にそういったことを取り締まる校則があるわけでもないし、ウチは割とそういった部分に寛容なところがある。ただまぁ、面子と私自身のプライドがそうさせない。やはり私たちは勉学に勤しむ学生であり、携帯を授業中に使用したりするのは遺憾千万だ。だからそう、使用するなら休み時間に生徒会室でこっそりとに限る。
 バレなきゃいいのだ。何といっても青春は一度しかない。そして、今日と言う日も一度しかないのに……何をやってるんだ私。
 思い出さなければならない。またいつ朋也から連絡があるとも限らない。とりあえず、その胸ポケットを何度も確認してみるが、ここには無し。制服の中をちらちら眺めてみたが、自分の下着しか目に映らなかった。今日は白。いやそうではなく。
「あ、そうだっ。思い出したぞ」
 先程朋也から貰ったメール、あれはより正確に表記するなら『もうちょっとで校門前に着くから、近くに着いたらまた連絡する。携帯を近くに置いたままで少し待ってて』だった。間違いないそうだそうだ。そこで私はつい、こうやって桜の木の下で座っていたからこう、地面に置いた――っ。
 慌ててその場に立ち、自分の足元を確かめてみるがやはり携帯は無い。グルリと周りを見てみたが、やはり地面の上にあったら目立つであろうポータブルフォンはありません。等と、少し語調がおかしくなるくらいに私も滅入ってきた。元は携帯電話であるにも関わらず、略称が携帯であることに疑問を抱くくらいに滅入っている。むしろ携電(けいでん)とでも言ったほうが良いんじゃないカナ? どうでもいい。
「携帯よ、もうそろそろ出てきてくれないか」
 返事無し。むしろ何で私は無機物に呼びかけたんだろう。いかんいかんいかん焦る焦る焦っている。本当にいろいろとマズイ。こうしている間にも朋也が着いてしまったら――朋也? 
 待て待て。私はそれで一気に落ち着く。あいつが近くにいるのなら、また電話なりメールがかかってくるはずだ。それはマナーモードであっても、地面に確実な変化を見せるはず。その時に拾えばいいんじゃないか。そうだ、それでいいんだ。何でこんな簡単なことに気がつけなかったんだ、私は。やっぱり今日はどうかしている。特別な日だから、というだけでこんなに舞い上がっている自分がわかる。だって今日は私の――
「――んん?」
 いる。朋也がいる。朋也の優しい匂いがしたからだ。肌が熱を帯び、顔がだらしなく緩み、頭が蕩けそうになるような、私だけの特別な香り。
「いるのか……朋也?」
 携帯と同じように、返事は無い。でも知性や経験ではなく、感覚でわかる。朋也が私のすぐ近くまで来ている。いや、すぐ近くに気配も感じる。私がその場所を突き止めようとしたその時、小さな電子音が耳に届いた。
 タンタタンタンタータン。世界中の誰もが聞いたことのある音色。それは「good morning to all」。誕生日の歌だ。続くようにまだ幼さを残した男の声がそれに重なる。


 ハッピバースデイトゥーユー
 ハッピバースデイトゥーユー
 ハッピバースデイディア、智代
 ハッピバースデイトゥーユー


「ここだ智代」
 唄い終わった後、木の陰からその声の主が手を振っている。もちろん、私の愛する人
「朋也。着いていたのか」
「ああ。そして作戦成功、ってやつだな」
 あはは、と小学生が悪戯を成功させた時みたいに朋也が笑う。その足元には私の携帯があった。今も連続して先程の音楽を流し続けている。きっと設定を変更させたのだろう。――ああ、そういうことか。だから『携帯を近くに置いて待ってて』というわけだ。しかしまぁ、いつの間に盗み取られていたんだろう。
「お前が持っていたのかっ」
 もちろん私は怒る。もちろん表面上だけで。
「なかなか粋な計らいだろ? お前いつまで経っても携帯の着メロ変えないしさぁ。ちょうどいいかと思って。それにほらほら、ちょっと画面開いてみろって」
 言われて私は携帯を拾い、待ち受け画面を確認する。音楽が流れたまま、そこには小さなクマがプレゼントの箱を持った画像に変わっていた。吹き出しには『おたんじょうび、おめでとう』の文字。
「……これ」
「誕生日プレゼント。サイトから探すの、結構苦労したんだぞ」
 そう言葉を言い終えるか否かのところで立ち上がった朋也は、優しく私を抱きしめる。そしてもう一度。
「18歳の誕生日おめでとう、智代」
「……ありがとう」
 ああダメだ。反則だ。こんなのってない。そんな風に言われたら、私はもっともっともっと朋也が好きで好きで大好きになってしまうじゃないか。最高のプレゼントに最愛の彼氏。幸せすぎて怖くなってしまうくらいだ。
 けど、怖いくらいでちょうどいい。痛いくらいに幸せでいたい。もう二度と、痛みだけの日々を過ごすのは嫌だ。朋也と同じ時間を感じて、同じ場所に立って、同じことで笑う。その愛しさを、また今日も感じることが出来て嬉しい。だから今ももう少しだけ感じていたい。
「朋也」
「ん?」
「もう一回、唄ってくれないか。今度は私も、朋也と一緒に唄いたい」
「……ああ」


 携帯というのは、本当に便利な代物だ。何しろ、電話を持ち歩き出来てしまうんだ。時と場合を考えれられるマナーさえ守れば、いつでもどこからでも連絡を取れる。私が使いこなせているのは精々通話とメールの送受信のみ。けれど、今日のうちに携帯のスケジュール機能を覚えておこう。メモする必要なんてもちろん無いけど、今日という日をこの携帯に刻んでおきたい。そして、また次の10月14日も、きっと。その次もまたその次も、絶対。
 これからもずっとこうしていられますように。
 いつまでも、二人で誕生日を祝えますように。


 ハッピバースデイトゥーユー
 ハッピバースデイトゥーユー
 ハッピバースデイディア、智代
 ハッピバースデイトゥーユー


 16和音の着信音。そして私と朋也の二重奏。
 秋の放課後、18和音のメロディーはどこまでもどこまでも流れていくように思えた。