天才とは50%の運命と50%の愛情である。

 今よく話題に上がっている「ドラえもん」を久しぶりに観た。面白かった。
 今回は「グルメテーブル」(名前はうる覚え)というお話。のび太のお母さんが家事に追われていると、のび太で言う、その母方のおばあちゃんが倒れたということで、お母さんが家を開ける。家に残ったのび太ドラえもん、お父さんは昼食を食べようと奮起するが上手くいかず、結局先のドラえもんの道具。自分の好きな食べ物を出してくれる。それからのび太は外に出かけ、いつものようにしずかちゃんやジャイアン&スネオといろいろやって、夜に。おばあちゃんが無事だったことでお母さんが帰ってくると、夕食にとそのテーブルかけを使ってお母さんにハンバーグを出すのび太たち。お母さんが食べ始めると、「お母さんの料理よりおいしかったよね」「そうそう、前に失敗した時はひどかったよねぇ」等と言い出し、お母さん怒る。「それなら、明日からはずっとこれで食べればいいじゃないっ」と居間を去ってしまう。それでのび太たちがゴメンねお母さんと謝ってオチ、というのが概要。
 よくよく考えてみると、お母さんの最後の言葉はホントそうだよなぁと思う。ドラえもんがいれば、家事どころか全てのことを道具で解決出来ちゃう。間違いなく堕落しちゃうよね。失敗してもタイムマシンまであるから、使い方一つでは世界制服なんてのも簡単なんだろうなぁと。もちろんそんなことをアニメではやらないけども、そういう可能性だって十分考えられる。ドラえもんも、のび太だからこそ一緒にいようと思ったんじゃないかなぁ。いいコンビだと思います。
 ホント、ドラえもんからはいろんな教訓が散らばっている。ただ「道具がいっぱいあっていいなぁ」というだけじゃない。もっと目を凝らしてみれば、大切なことに気づけるのかもしれない。ただそうなっていくと、どんどんリアルな見方をしてしまって、純粋に楽しめなくなるような気もする。それも成長であり、悪い見方ではないとは思うんだけども。子どもの時みたいに、夢のある楽しみ方が出来なくなったなぁと、少し哀しくなった。
 藤子・F・不二雄氏で詳しそうな方と思い返すと、知っているのは風見由大さんくらいしか知らないのですが。上記のようなことにどのような見解をお持ちなのか、少しお話などもしてみたいなぁと思いました。全然藤子氏に関する知識もなく、さらには風見さんとも二言三言しか話したこと無いボクが何を言っているんだだろうか_| ̄|○ でもまぁ、そういった感想を持った今日のボクでありました。来週も観れたら、観たいなぁと。